ラテン式教育
画面の前の貴方様はTVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が放映された“時代”をご存じだろうか?
今のオタ芸の魁ともいえるハルヒダンス。とりあえずキモオタが踊り狂った。
美少女が文化祭で熱演するのに触発されたオタクが、文化祭で楽器をかき鳴らした。
2013年になると、今のオタクはハルヒを見ていないから――とマウントをとるオタクが続出した。
恥ずかしい話だが著者も例にならって「ハルヒみてないんですか? 読んでないんですか? てか、『学校を出よう!』の方が面白いですよね」と若輩オタクどもにマウントをとっていた。
正直、やみつきになる。
こんな話は置いておいて、2013年に忘れてはならない重要なコンテンツがある。
そう、『ラブライブ!』だ。みんなでつくる物語というキャッチコピーを皮切りに、
ソシャゲ、アニメ、2.5次元のライブ、とオタクの時代を席巻した。
当時のオタクを魅了したのだから、当然のこと、思い入れが強いオタクも数多くいる。
これらを念頭において話を進めよう。
時は2018年。
当然、初代ラに熱中したオタクが旗手となり、ブイブイいわせる頃だ。
ラブライブを視聴した回数――すなわち「多寡」がモノをいう。
さすがだ。
過去を知らなければ、“イマ”を語れない。
そう、温故知新。
ちなみに著者は、サンシャインを見ていない。『永遠フレンズ』をきいてむせび泣いた過去がある初代原理主義者である。
永遠フレンズは、いわば『友情ノーチェンジ』のアンサーだ。
俺様は、「少しだけ寂しいキモチが忍び込んだ横顔を見つめていたら」というフレーズが大好きだ。
オタクの多くが、悲しいかなオタクにマウントをとるためにアニメや漫画やラノベやエロゲを見て読んでシコっていると考えたほうがいい。
さて、タイトルにもある「ラテン式教育」とは何なのかヒモ解いてみよう。
夜想曲さんはネットには乗っていないとおっしゃるので、俺様が書く。
ある性質的高校生と大学新入は教材をバイブルと見ている 手品の統一性が連中の宗教性 やばいな どう言う家庭育ちがラテン式教育と合わせたらああいうものを生み出せるの? 連中が後世にとって良いマイナス教材になる そうか それが連中の存在意義か 辿り着いた
参考・引用文献:
ノクターン2号・ル・ボン - ラテン式教育の弊害 - Powered by LINE
この問題のキータームとしてあげられるのが、『未来にキスを』というノベルゲームだろう。
作品の概略を書こう。
古い人が考え定義した概念を使ってしまうと、思考が「檻」に捉えられてしまうというのだ。
檻というのは、近代教育システムであるといえ、ひいては実態のない超越的なシステムのことだ。
例えば、社会という言葉を作ったのは西周だが、社会という言葉の概念に「人」や「社会」そのものが縛られているといえる。恋や愛も定義された概念にすぎないと解する。
こういった我々を縛る概念を今作では、「自走するシステム」と呼んでいる。
自走するシステムを無視することで、それに支配されず人は自由になれる、真の意味で「人間になれる」と主張する。
ししおどしや川は「永久機関」に例えられ、いまや人も自走するシステムに操られる永久機関、「オートマトン」になっているという。
ここで、ラテン式教育をおさらいしてみよう。
- 教育に対する認識の誤謬(教育とはテキストの暗唱と教諭や教授への服従。educationではなくdiscipline)
- 現代社会に反抗する無産階級と軽佻浮薄なブルジョアジーがつくりあげた膨大な格差における社会のクライシス
- パイを奪い合う
ラテン式教育もオートマトンといえるのではないか。
射程を広げ作品の核心に迫ってみよう。
さて、初対面の人でも、「この人はあの人と似ている」「あの人とあの人を足した感じだな」と人にはパターンがあると皆も考えていることだろう。
『未来にキスを』は我々に優しく問いかける。
良い人というのは、自分が考える他人の理想像を当てはめているだけなのではないかと。
自分の心中に理想とする他人像をつくりあげ、自己の内面に理想の人を展開することが究極のコミュニケーションだと解答しているのだ。
もうコミュニケーションは必要ない。
なぜなら、理想像と対話するだけで済むのだから。
総括
近代教育システムやラテン式教育がつくった自走するシステムにより我々は人ではなく自動人形になっている。それら「オートマトン」から離脱するには自己が思い描く理想とする人物像を他者に敷衍する必要がある。